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神の観察
◆コンピュータ上のプログラムが意思を持ち始め、そして…
ひょっとすると、神って奴は案外簡単になれるものなのかもしれない。
27歳、俺は神になった。
月曜日から金曜日までの間、俺はただの会社員をやっている。
それなりの大学を出て機械関連の大手企業に勤めてはいるが、パッとした功績は残せていない。
俺は仕事が好きではなかった。
決められた仕事を決められた範囲でこなす。
まだ下っ端の俺にクリエイティブな役目は回ってこない。
もう西暦は2030年になろうというのに、こういった事情は俺が子供の頃とちっとも変わっちゃいないようだ。
そんなことを鬱々と考えながら、金曜日の仕事が終わり土曜日になる。
そうすると、俺はようやく神になるのだ。
この試みを始めたのは1ヶ月前、土曜日の夜だった。
昔からパソコン、取り分けプログラミングの分野に長けていた俺は、ちょっとした暇つぶしとしてあるプログラムを組んだ。
それは、自己複製、つまり自分をコピーし続ける単純なプログラムだった。
「0と1の羅列」で出来たプログラムを「AGCTの羅列」で出来たDNA(遺伝子)に見立て、DNAが自身の配列を複製して増やすように、プログラムも自身の配列をコピーして増やすようにした。
(A:アデニン G:グアニン C:シトシン T:チミン
DNAを構成する4つの塩基。これらの組み合わせによって、DNAは無限のバリエーションを持つ)
ちょうど、元始の地球で生まれた単純な生命、ひたすら自己分裂型の増殖を続ける微生物、こいつらのような存在だ。
こんなものを作って何をしようかなんて、俺は何も考えちゃいなかった。
ただ、思いついたから作ってみた。それだけのことだ。
しかしこれがきっかけで、俺は神になったのだ。
当たり前のことだが、自分を延々と複製するプログラムを動かしてみたところで、何も面白いことは起きなかった。
メモリーの中がそのプログラムでいっぱいになっていくだけ。
1・・・100・・・200・・・1000・・・・
「ファイル数」として表示される数値がただ増え続けるだけだった。
それを眺めているのも最初のうちは楽しかったが、段々と飽きる。
いい加減うっとうしくなったので、俺はプログラムを書き変えた。
実際の微生物は、死ぬ。
同じように、このプログラムにも「死」を設定してやろう、そう考えたのだ。
メモリーの残量が80%以下になったときに、「製作日時」の日付が古いプログラムから順に削除する。
そのようなプグラムに書き変えてやったのだ。
つまり、歳をとったプログラムは死ぬ。
さっそく先ほどのプログラムをすべて削除し、新たなプログラムを実行してみた。
しばらくすると、当たり前のことだがファイル数は一定値で動かなくなった。
増えたプログラムの分だけ、昔のプログラムが消える。
どれもこれも元は1つの同じプログラムなので、表面上は何の変化もない。
俺はガッカリした。
なんだ、さっきよりもつまらなくなったじゃないか・・・と。
ここで俺は考えた。
地球に最初に誕生した生命、そいつらもこのプログラムと同じような生き物だったはずだ、と。
自分と全く同じ個体を複製し続け、何らかの要因で死んでいく。
そこにおいてこのプログラムとの差は全くない。
それなのに、そいつらはやがて目まぐるしい進化を遂げ、とうとう俺のような人間にまで進化した。
俺の作ったプログラムは、ひたすら一定の量で留まっているだけだ。
この差は一体どこからくるのか。
そうしてたどり着いた答えが、突然変異だった。
大学の教授曰く、太陽の出す宇宙線の影響により、DNAには一定の確率で突然変異が生じるのだそうだ。
つまり、「AGCT」の配列が狂う。
それによって複製前の個体とは違う不良品が生じるのだが、まれにそれが複製前よりも優れている場合がある。
その個体は、複製前の個体よりも優位に生存競争を勝ち抜き、やがて栄える。
これの繰り返しが進化なのだと言う。
その教授の講義は片肘をついて寝ながら聞いていたのだが、これが思わぬところで役に立った。
プログラムにも、一定の確率で「0と1」の配列が狂うような設定を加えよう。
そうすれば、この変化のない複製プログラムにも何らかの変化が生じるに違いない。
自分の心臓がドクンドクンと血流を送るのが聞こえた。
そのように、つまり一定の確率で「0と1」の順序が狂うようにプログラムしてから、俺はまた前のプログラムを削除した。
そうしてフォルダを空にすると、新たに組んだプログラムを急いで実行した。
心臓がさらに高鳴った。
すでに時刻は深夜を回り、辺りは完全な静寂に包まれていた。
だが、仮に喧騒の中だったとしても、俺の耳には何も届かなかっただろう。
じっと画面を見つめた。
結果は、しかし予想とは裏腹に、先ほどと同じように同種のプログラムが複製されていくだけだった。
俺はガッカリした。
突然変異が生じたプログラムたちは、エラーを起こしてたちまちのうちに消えていくだけだったのだ。
何かが起こる、そう期待していた分、俺の落胆は大きかった。
くそ、と吐き捨てると冷蔵庫に向かい、缶ビールのフタを開けてグビと飲むと、そのまま横のベッドに倒れこんだ。
気がつくと、朝になっていた。
尿意で目が覚めた俺は、とりあえずトイレに向かうと、ぼんやりとした頭で考えた。
昨日は何してたんだっけ・・・と。
そうして、そうだ、地球初期の微生物を真似してプログラムを組んでいたのだった、と思い出すのにはいささかの時間を要した。
朝は頭が働かない。俺は朝が苦手だった。
手を洗い顔を洗ったところで、ようやく目が覚めてきた。
そうして何となくパソコンの前に座ったところ、パソコンは起動したままになっていた。
そうか、昨日はイライラしていたせいか、パソコンを終了させるのを忘れたまま寝入ってしまったんだった。
すると、あのプログラムは昨日からずっと複製と死を繰り返していたのか。
延々と同じプログラムが増えては、消え。
ご苦労なことだ、と鼻で笑いながら画面を開いた俺は、しかしながら驚愕した。
なんだ・・・これは。
これは・・・・・・・生命?
画面に存在していたプログラムは、もう昨日のそれではなかった。
雑多。まさに雑多なプログラムがそこには混在していた。
昨日のプログラムの面影は・・・もうどこにも残っていない。
恐らく、どこかで偶然にも「優秀な突然変異」が発生し、初期のプログラムとは配列の違う、より優れたプログラムが生じたのだろう。
何億倍もの「突然変異による死滅」の中、たった1つ、奇跡のような突然変異が生じた。
それよって生まれた優秀なプログラムは、既存のプログラムよりも優位に複製を行う。
やがて残っていくのは・・・・もちろんこの新しいプログラムの方だ。
つまりこれはどういうことかと言えば・・・淘汰だ。
最初に俺が組んだプログラムは、淘汰されてしまったのだ。
そしてそれを淘汰したプログラムすら、また生じた進化によって淘汰され・・・
それが延々と、夜じゅうずっと繰り返され、このように雑多なプログラム形態を生み出したということか。
俺の頭はすっかり覚め、むしろ、これ以上ないと言うほど興奮していた。
具体的にどのようなプログラムが生じているのか、取り出して分析してみることにした。
すると、ますます興味深いことが分かった。
俺が思っていた以上に、多様な変化がそこには生じていた。
まずは、俺がプログラムAと名づけた種。
驚いたことに、こいつは「自己を複製するプログラムを持たない」。
これには完全に度肝を抜かれた。
自己を複製できないプログラムが、どうして生き残ることができるのか。
その個体一代で、その種は途絶えるはずだ。なぜ。
しかし、よくよく観察しているうちにその謎は解けた。
プログラムAは、寄生型のプログラムだったのだ。
つまり、「複製するためのプログラムを持たない」代わりに、「他のプログラムに自分を複製させる」ということだ。
他のプログラムは、自分を複製しているつもりで実はプログラムAを複製している。
これにより、自己複製プログラムを省略しているプログラムAは、自己の容量の軽減に成功した。
サイズが小さいため、つまり軽いために、プログラムAは早く動作できる。
他のプログラムより断然優れていたのだ。
しかし問題点は、他のプログラムがなければ自分を複製してもらえないということである。
プログラムAが増えすぎると、つまり他のプログラムが減りすぎると、プログラムAは自己を残すことが出来なくなる。
よってプログラムAの数は減っていき、バランスが保たれる。
これはまさに、自然界における草食動物と肉食動物の関係に等しいものだった。
実際、数をプロットしてみたところ、周期関数のような形が描き出された。
さらに他に、プログラムAに寄生するプログラムまであった。
俺はこいつをプログラムBと名づけた。
プログラムBは、プログラムAに自分を複製させる。
つまり、プログラムAは他のプログラムに自分を複製させているつもりだが、プログラムBの介入によってプログラムBを複製してしまっているのだ。
寄生型に寄生するプログラム。
もはや何でもありだと思った。
他にもあった。プログラムCと名づけたプログラムは、平和的な進化を遂げていた。
こいつらは、複数体が集まることにより、それぞれのプログラムを共有し合っていた。
お互いのプログラムを利用し合うことにより、お互いの増殖行為を助け合う。
複数体で一種のプログラムのような振る舞いを見せていたのだ。
だが当然こいつらに寄生するプログラム、プログラムDも・・・思った通りいたわけで、こいつはプログラムCたちを騙して自分を複製させていた。
多種多様なプログラムによる騙し合い、進化。
このファイル内は1つの仮想世界となり、こいつらはその世界の中で生存競争を繰り広げていた。
これを・・・これを生命と呼ばずして、何と呼ぶのだろうか。
俺は、吐き気に近い歓喜を覚えた。
パソコンの脳である中央処理装置、即ちCPU(Central Processing Unit)。
そのCPUの活動により、こいつらは生きている。
CPUの活動が遅ければ、こいつらの活動も遅くなる。
CPUとは、即ちこいつらにとっての「時間」。
つまり、CPUの性能を上げてやればこいつらはもっと早いスピードで進化するはずだ。
俺は、この「自己複製プログラム」以外のソフトをすべて終了させ、出来る限りのCPU占有を許した。
もっと見たい。もっと進化したらどうなるのか、その過程が見たい。
俺は知ることを強く欲し、パソコンはこいつらの進化のためだけに存在する箱となった。
この生命は、どこまで進化するのだろうか。
知りたい、知りたい、知りたい。
そのことだけを考え、ひたすら観察を続けた。
そうやって日曜日の昼に差し掛かった頃、俺はついに性交を観測した。
つまり、お互いのプログラムを掛け合わせる種が生じたのだ。
自分のプログラムの半分と相手のプログラムの半分を組み合わせて、新たなプログラムを生成する。
そんな奴らがとうとう現れたのだ。
じんわりと、額に汗が染みてきた。
止まらない・・・・進化は止まらない。
最初の性交は、期待とは裏腹に成功とは程遠いものだった。
組み合わせられた新しいプログラムは、完全な欠陥品。
新たな子孫を残す間もなく、死によって飲み込まれた。
俺は落胆した。
なるほど、確かに。
でたらめに互いのプログラムを掛け合わせたところで、どこに進歩が現れようか。
突然変異となんら変わりない。
ただ2種によって行われるというだけのことで、これは性交と呼べる代物ではない。
単なる「2種による強制的な突然変異」に過ぎない。
俺が真に性交と認めたのは、次に現れた種からだった。
しばらく「偽の性交」が続いたあと、ついに本物らしい性交を観測できたのだ。
こいつらは、かなりそれらしいプログラムを有していた。
先ほどまでの種と違うのは、「同種を識別するプログラム」を有している点だ。
言うならば、先の偽の性交は鳥と牛が性交したようなものだ。
それではまともな個体は生まれない。
必要なのは、鳥は鳥、牛は牛と性交することだ。
それを制御できるプログラムが、ついに、突然変異によって生じたということだ。
相手が自分と似ているか、という判定をクリアしたものとのみ、プログラムを掛け合わせる。
そうして生まれた個体は、元の個体に限りなく近い。
元の個体同士が似たプログラムなのだから、これは当たり前のことだ。
その中で生じる、「微妙な差異」。これが個性と成り得る。
これにより、突然変異を待たずとも、高頻度で「0と1」の狂いが生じるようになった。
それまでは、低確率で起こる突然変異、さらにそれが運よく優良プログラムになることによって進化が生じていたが、
性交の登場により、新たな個体を生み出すたびに微小な突然変異が生じるようになった。
それも、微小な変異ゆえに、欠陥品が生じる確率はかなり下がっていた。
これによってこのプログラムたちは急速に進化していった。
そして、ついに「同種で、かつより優れた相手を識別するプログラム」が発生した。
より強き者を選んで性交する。
弱き者は選ばれずに、途絶える。
この非情とも言える淘汰システムの確立により、この種は最大の繁栄を成し遂げた。
ついに、他の種の9割が根絶したのだ。
残った1割も、わずかな量がささやかに生きるだけとなり、もはやこの世界はこのプログラムの天下となっていた。
俺はこいつらに敬意を表して、名前をつけてやることにした。
「LIFE」
命だ。
こいつらは実際に生きている、そう感じたから。
LIFEの天下は続いた。
いつか他の種がこいつらを越すかもしれない、そう考えて観察を続けたが、どうやらそれはなさそうだった。
LIFEによって生息域を90%奪われた他種は、もう前ほどの進化を行えなくなった。
膨大な試行回数のもとに生まれるのが進化だ。
個体数が減ってしまっては、もはや種の保存すらままならない。進化などは望むべくもないのだった。
LIFEにしても、もはやほとんど労せずに増殖できるようになり、進化の速度は遅くなっていた。
ある程度の欠陥品なら、「種の強み」によって生き残れるようになっていたのだ。
つまり、LIFEの中で最も劣った主でも、プログラムAのような劣った種には圧勝できる。
こうして、LIFE内の淘汰が緩やかになり、優れた個体のみが生き残るという状況は終わった。
俺は物足りなさを感じた。
こいつらは・・・「恐竜」。そう思った。
絶対的な強者であるが故に、進化を緩めた。
進化を怠り始めた。
そんなぬるま湯が、いつまでも続くと思ってくれるな。
隕石だ。
巨大隕石を降らそう。
俺はこの世界の管理人なんだから、何でもできる。
傲慢になりすぎたこの生命に、試練を与えてやるのだ。
そういう結論に至った俺は、大粛清を行った。
環境の変化だ。
環境の変化に対応できない種は滅べばいい。
俺は「人工生命」というフォルダを作成すると、今までプログラムが展開していた「新しいフォルダ」と同じ階層に置いた。
この「新しいフォルダ」とは、つまりLIFEなどのプログラムにとっては居住空間、世界だ。
そして、「新しいフォルダ」内に、「人工生命」のフォルダに移動できるプログラムを設置した。
後は隕石を降らせるだけだ。
「新しいフォルダ」内のプログラムを、ランダムに消去するシステムを作成。
長い間「新しいフォルダ」内に留まれば、確実に消去される。早く逃げたプログラムだけが生き残る。
これはつまり、隕石。
降り注ぐ隕石と同じような存在だ。
その隕石から逃れ、運よく「人工生命」というフォルダ、新天地にたどり着けたものだけが、生き残る。
この「人工生命」フォルダに転送するシステムは、非常に脆いシステムにしておいた。
つまり、LIFEのように容量の大きいプログラムは転送できない。
LIFEの中でもかなり小型な亜種か、弱小な他のプログラムか、この2つに1つしか生き残ることはできない。
ちょうど、巨大な恐竜が飢えと暑さで死に、地を這うねずみやゴキブリが生き残ったように。
この後の変化を見守る前に、日曜日の夜は明け始めていた。
すずめのチュンチュンという声で、ようやく外に朝が訪れたことに気づいたのだ。
いつの間に・・・と、かなり驚いたのを克明に覚えている。
日曜の(昼寄りの)朝だったはずが、気づけば月曜の明け方だった。
俺は大いに焦り、急いで仮眠を取った。
流石に不眠での会社出勤はまずすぎるのだ。
単純な作業が多いとは言っても、それは大きな括りでの話。
やはりある程度の経歴を持つ俺は、それなりに頭を使う仕事をこなさねばならないのだった。
不眠でも実力を発揮するという、そこに関するガッツというか、気力というか、そういったものは持ち合わせていない。
是が非でも頭を休ませねばならない。
だが、自分の見ていない間に人工生命たちに劇的な進化が現れるのはよろしくない。
そういうわけで、一旦活動を停止させ、現状を維持することにした。
もちろん保存を忘れずに、だ。
これで次に起動させれば、またこの続きから人工生命たちを観察することができる。
俺は安心して、2時間の床についた。
(そうか、あの世界にも朝と夜の概念を入れてやったら面白いかもな・・・・)そんなことを考えながら。
月曜の夜。
飲みに行かないか、という上司の誘いを「めまいと吐き気と頭痛がするから」と断り、俺は急いで帰路についた。
電車の吊り皮につかまっている間中、ひたすら人工生命について考えていた。
そうして念願の帰宅を果たした俺は、さっそく朝の続きを観察した。
見ると、狙い通りにLIFEたちは死滅していき、とうとう「新しいフォルダ」内のプログラムは全滅した。
すべてのプログラムは「人工生命」のフォルダに収まり、また新たな展開を始めた。
試しに、朝と夜を真似て、CPUの稼働率を定期的に上下させてみた。
すると、驚くことに「CPUが活発なときに活動するタイプ」と「CPUが不活発になったときに活動するタイプ」に分かれるようになった。
つまり、夜行性のプログラムが発生したということだ。
他にも、「定期的に、各プログラムの容量の限度数が増減する」という環境を与えてやったところ、自分の容量を自在に増減させられる種まで発生した。
(限度数が下がる直前に一時的に自分のプログラムの1部を他のプログラムに寄生させ、限度数が増えたところでそれを回収する、といった具合だ。
限度数が下がる前に特定の兆候が起こる(限度数が微振動する)ように設定したので、それを観測できる種が現れたということだ。)
こうして環境を変えていくことにより、より多様な種が生じ、前のように1種類の独壇場になることはなくなった。
ここで俺の中に一定の安心感というか、満足が得られたので、その日は早めに眠った。
前日の無理のせいか、ぐっすりと眠れたことを記憶している。
その後も4日間、夜にちょこちょこと観察を続け、ついに念願の土曜日を迎えた。
この頃になると、やはりある程度進化は安定してきて、プログラム種の増加は緩やかになっていた。
だが、変動する環境のお陰で1種による独裁化が防がれ、ほどよい均衡の元、着実な進化が続いていた。
俺は、「早く時間を進めたい」と強く願うようになっていて、だからこの日は電気街に出かけることにした。
目的は、CPUの増強だ。
より強力な稼動力で、あの世界の時間を劇的に早くしたい。
俺は、店に着くと迷わず限界まで性能のいいCPUを買い、そそくさと帰宅した。
ここにおいて金銭の問題などは問題ではなかった。
問題なのは、いかに人工生命を進化させるか。
俺の興味は専らその一点に定まりつつあった。
さっそくCPUを増強すると、俺は観察を続けた。
平日にアイデアを溜めて、休日にそれを実行に移す。
体と会社のことを考えた結果、そのようなリズムが出来上がった。
土曜日になると俺は神になって、月曜日には人間に戻る。
そんな貴賎流転の生活が始まって、3週間がたった。
****
ようやく、今の話をしよう。
今の俺は、非常に興奮した状態にある。
まさにさっき、驚くべき現象を観測したのだ。
まさかここまで来るとは思っていなかった。
進化と言うやつは、げに恐ろしきものだ。
これまでもよく進化してきたとは思っていたが、比ではない。
ついにこいつら・・・・ついに、言語を発明しやがったのだ。
いくらなんでも言語までは無理だろう、と、そう思っていた俺は完全に度肝を抜かれた。
互いの意思疎通のために、情報性を持ったサインを発するようになったのだ。
初めのうちは単純なものだったが、次第に複雑な指示が出来るようになってきていた。
これによりこいつらは非常に効率的な活動を許され、より高度な方法で生き残るようになっていった。
言語を持つものと持たざるものでは、あまりに差が大きかった。
たちまち、世界はこいつらの天下となっていった。
試しに1つの個体を詳しく分析してみて、俺はまたさらに驚いた。
こいつらの先祖は、あろうことか・・・・「新しいフォルダ」から「人工生命」のフォルダに逃げ出してきた、小型プログラム・・・LIFEの亜種だったのだ。
またしてもLIFE・・・。
俺はこいつらに、愛着と運命を感じずにはいられなかった。
言語を発明してからの進化は、異様に早い。
今こうして観察している最中にも、どんどんと進化は続いている。
あとは文字・・・文字を発明したらとんでもないことになるな、と俺はそう思った。
文字は、声と違って容易に蓄積できる。
先人の編み出した知恵や発見を、いとも簡単に後世に伝えることができるのだ。
とはいえ、こいつらの言語能力は所詮サルのレベルだ。
サルは、ジェスチャーと鳴き声によって情報を伝達できるので、それを1つの言語と見なす。
そうすると、彼らは言語によって「敵がきた」「そっちへ行け」「俺に従え」「これを食べろ」などの情報をやり取りしていることになる。
こいつらの今のレベルは、まさにそんな感じだ。
重要な情報を、単純な言語によって簡潔に伝える。
それだけのこと。
まだ、文明と呼べるような代物はとてもじゃないが存在しないし、感情といったものも観測することはできない。
まだまだ遠い。遠い。本物には、程遠い。
俺は、早く続きが見たいと思った。
こいつらがどういった進化を遂げるのか、どこまで本物に近づけるのか。
俺が作ったプログラムが、どこまで本物の生物らしい振る舞いを出来るようになるのか。
俺の力はどこまで通用するのか。
足りない。時間が足りない。もっと凄まじい速度で時間が流れないと、進化の先が見れない。
この日俺は、パソコンを起動させたまま寝ることにした。
果たして、朝にはどんな進化を見せつけてくれるのか。
今から楽しみで仕方がない。鼓動が踊り、腕は粟立つ。
早く寝よう。
時間を早送りする方法、それは、睡眠だ。
パターンとしては、決まっている。
こいつらを放置するなんてとんでもないことなのだ。
きっと、俺が予想もしなかったような状況が生じているに違いない。
遠足前日のような気持ちの中、やっとのことで寝付いた昨夜、俺は様々な思索をしていた。
(文字は発明されるのかな・・・・)
(そういえば、性別ってものは観測できていないな・・・)
(国はできないのか、戦争は起こらないのかな・・・)
(あいつらに飢えはないのかな・・・)
そんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え、そうして意識が遠のいていく直前まで、俺は期待をしていた。
「文字くらいは発明してくれてるといいな・・・」
目を覚ました俺は、そんな昨夜の自分を思い出しながら、もったいぶってまずはトイレに行った。
用を済ませて顔を洗い、適当な朝飯を食い終わる。
それでも俺は、なかなかパソコンを見ようとはしなかった。
すぐに結果を見てしまうのは、少しもったいない気がしたのだ。
そして、何の曲ともない鼻歌を歌いながら、しばらくの間ボーっとテレビを眺めていた。
「続いてのニュースです。宇宙の構造を解明するための重要な役目を担った『ブレインズ8号』の発信した情報が、一部公開されました。」
昔から宇宙開発にも興味があった俺は、何となくそのニュースに見入ってしまった。
聞けば、ブレインズ8号は何十年も前に地球を飛び立った探査船らしい。
その探査船が、ようやく目標とされた地点に近づいてきたのだと言う。
そのときに発信された情報(写真)が、このニュースで流れたのだ。
もっとも、この写真が撮られたのはもう何年も前であり、今頃ブレインズ8号はさらに遠く、宇宙の果てへと飛行を続けていることだろう。
ちょうど、今地球に届いている太陽の光が約500秒前に太陽で発せられたものであるのと同じようなものだ。スケールの桁は違うが。
とにかく、今夜未明にブレインズ8号から送られてくる情報によって、宇宙の構造が解明できるかもしれない、とのことだった。
今頃、物理学者たちは発狂しそうな気持ちで発信を待っているに違いない。
何十年間も待ち続けた物証だ。待ち時間で発狂してもおかしくないほど貴重なものだろう。
その手紙の尊さは、北海道と沖縄で遠距離恋愛をする恋人同士の手紙とでさえ、比べ物にならない。
俺だって知りたい。今の宇宙観は本当に正しいのか。その観念によれば、これ以外にも宇宙が何個も存在するらしいのだが、そんなとんでもない話を信じてよいのか。
いつかこの宇宙が再びビッグバンで終焉を迎えるとして、そのときまでに別の宇宙に逃げ出すことは可能なのか。
今となっては他の分野に興味がいってしまったが、俺も昔は色々な本を読んだものだった。
こりゃ、明日の朝のニュースが見ものだな・・・。
(余談だが、「新聞」という紙のニュースは何年か前に根絶した。今は専らネットニュースで事が足りる。
紙のニュースは、印刷費用の関係で裏の権力に言論統制をされていたし、偏った政治思想が酷かった。環境保護の観念からも時代遅れだし、配達の手間も掛かる。
若年層の新聞離れによって読者が減り続け、ついに採算が合わなくなり、廃止された。俺のお袋は大そう寂しがっていたが、俺に言わせれば当然の結果である。)
浮き沈みする世間の権力、制度に対し、宇宙の真理は絶対だ・・・。
物理学者になるのも悪くなかったな・・・。
そんなことを考えるうちに、踏ん切りがついた。
さぁて、そろそろパソコンを覗いてみるか。
こいつらは期待を裏切らない。
パソコンを確認してみると、そこには驚くべき世界が広がっていた。
文字だ。こいつらは、ついに文字を使い始めていたのだ。
起こったことや生き抜く知恵を、自分が消えた後も伝え続けるツール、それが文字だ。
これによって、これまでは数代で途絶えたりしていた情報が、半永久的に残存するようになっていた。
そのことによる影響は、想像を絶する。
俺は急いで翻訳プログラムを書き上げた。
こいつらの使っている言語や文字を、最も近い意味で使われる日本語に置き換えるプログラムだ。
そこまで複雑な言語体系ではなかったので、これは意外と容易に済んだ。
所詮はまだまだプログラムの域を出ないということか。
しかし、ある個体を見て、俺はその言葉を撤回せねばならなくなった。
その個体は、そいつは・・・「創造」を行っていたのだ。
「起こっていないことを想像して、物語や絵にする」という行為、創造は、恐らく人間特有のものだ。
チンパンジーやイルカにもない、最も発達した脳を持つ人間だけに許された、性癖。
その域に、ついにこいつらは達してしまった。
そいつが創造したのは、物語だった。
『アル トコロ ニ、死ナナイ人間 ガ イマシタ。ソノ人間 ハ、幸セニ 暮ラシ マシタ。』
たったこれだけの物語だったが、それは革命的なことだった。
この世界にも「不死」はない。
それをこいつら、LIFEたちは理解している。
それにも関わらず、このような「起こっていないこと」を起こったことのように話したのだ。
俺は身震いした。
確かに、俺がこいつらをプログラムした。俺が作った。
しかし今、こいつらは確実に、「ナニカベツノモノ」になろうとしている。
感動と共に、俺は初めて若干の恐怖を感じたのだった。
食べ物を獲得する、という苦労が、こいつらにはない。
エネルギーは常にCPUから与えられ、特に何をしなくても生涯を全うすることが出来る。
種さえ繁栄させてしまえば、他の種さえ虐げてしまえば、特にこれといった労働を強いられることはない。
「力強いオスが獲物を狩り、子育て役のメスが家を守る」そういった役割分担が必要ないので、こいつらには性別がない。
俺はそんな風に考えるようになった。
こいつらは、人間と同じような進化を辿っているようで、実は全然違う。
それは当たり前のことだ。この限られた電子空間に、地球と同じような環境は再現できない。
その点において、現実の世界との差異は生じる。
そんな当たり前のことだが、それが顕著になってきたのはこの頃になってからだった。
獲物を取り合う必要がないので、ここでは戦争も起きないし、家も必要ないし、だから国家も存在しなかった。
ただひたすら、電子の波を彷徨う。そんな気楽な生き物だ。
しばらくすると、そんな余った時間からか、「WHY」を考える個体が現れだした。
つまり、物事に理由を問うようになったのだ。
「僕がコイツらを虐げる理由は?」「仲間じゃないから」「仲間を虐げない理由は?」「仲間に害はないから」
こういった具合だ。
すると、「この部分のプログラムは必要なのか?」ということにまで考えが及び、それによって必要のないプログラムを省くようになった。
いらないものが省略されたプログラムは、当然のことながら優れている。
たちまちに、LIFEたちは「WHY」を問う種族になっていったのだった。
ただ物事をするのではなく、なぜそれをするのかに重きを置く風潮。
そして、それをより完璧に徹底できるものが、さらなる効率化に成功し、栄えていく。
この淘汰を通過し、彼らはついに足を踏み入れる。
タブーとも言える泥沼、知性の証明、人間の尊厳に。
「ナゼ ボクタチ ハ ウマレタ ノ ?」
1匹の個体がそれについて悩み始めたのがキッカケで、他の個体も同じことを悩み始めた。
「生マレタ理由ハ?」「ナンデ?」「ナンデ?」
ある個体などは、この思索にあまりにも多くのエネルギーを費やしてしまったせいで、そのまま固まってしまった。死である。
「ナンデ?」「ドウシテ?」彼らは一種の集団パニックに陥り、一時期、個体数が激減した。
そんな流れを断ち切ったのが、1匹の個体だ。
彼は、前に物語を創造していた個体の、何百代も後の子孫にあたる。
その彼が、坦々と語り始めた。
「神ガ 我ラヲ 創ッタ」
騒然とする周りが、彼に問い詰める。
「神?ソレハ ナンダ?」
彼はまたそれに、坦々と答える。
「神 トイウ 存在 ダ。我々トハ 別ノ、ナニカ ダ。」
この物語は、このところ世界を騒がせていた「ナンデ?」に一応の答えを与えている。
ついに、厄介な大問題が解決したのだ。
こうして、彼の紡ぎだした一文は急速に広がっていった。
神様という概念、神話の誕生である。
しかし、神話による安定も長くは続かない。
「ナンデ 僕ラハ 死ヌノ?」
この問いに、彼の神話は答えることができなかったのだ。
答えることが出来ぬまま、彼は死に、また世界は混沌とした。
「ナンデ?」「ナンデ死ヌ?」
だが、そんな混乱がしばらく続いた後、これにも答えが与えられた。
「神ノ 所ヘ 行ッテ イル ノダ」
LIFEたちは、ついに死後の世界という概念までも発明した。
答えが中々でなかった問いを、「神」という存在を持ち出すことによって次々と解決していった。
俺は、次第にこれを滑稽に思い始めた。
神?何を言っているのだろう。お前らの言うところの『神』とは俺のことだが、俺はただの人間だ。少なくとも、俺の観点では。
そんなことを思いながら、冷笑によって笑い飛ばしたのだった。
コイツにとっての死とは、パソコンで言うところのただの「デリート」であり、ゴミ箱に収納されるに過ぎない。
そしてしばらくすればそこからも消え、存在そのものが完全に立ち消える。
俺のところへ来たLIFEなんて、どこにもいない。神の所へ行く?全くもってとんでもない話だ。
「神」の存在に着眼したまでは正しかったが、その後の作り話でどんどん俺から遠ざかっていった。
ただ、これは無理もない話だ。
自分らが生きるその世界が、ただのパソコンのフォルダの1つに過ぎないなんて、どうして発想できようか。
彼らは、彼らの次元の中でしか答えを出せない。
俺が住むこの世界は、彼らとは違う次元に存在する。
俺は同情すると同時に、こいつらの行く末を想像してみた。
しかし、そこに明確な案が浮かぶことはなかった。
何のことはない。俺も所詮は、彼らとは違う次元に住む生き物なのだ。
飢えのない世界で進化を続け、ついに神話にまで辿り着いたコイツらは、この後どういう道を辿っていくのか。
俺は食い入る様に画面を見つめた。
その後、彼らは2種類のタイプに分かれていった。
1つは、神話によってすべてを解決するタイプ。
もう1つは、神話以外の方法で解決を試みるタイプ、だ。
初めのうちは、すべてのLIFEたちが神話によってある程度の平和を享受していたのだが、しばらくするとそうも行かなくなった。
物語を創造する個体は少なかったのだが、こうも神話が流行りはじめると、その個体同士でズレが生じるようになってきたのだ。
「オ前 ノ 話、アイツ ト 違ウ」
「ドウイウ コトダ」
こういった疑問が生じ始め、次第に神話の信憑性は薄れていった。
この現象を回避するために考え出されたのが、「俺の言う神はあいつの言う神とは違う神だ。だから話が食い違っても仕方がない」という言い訳だ。
これによって、複数の「宗教」が誕生した。LIFEたちは様々な宗派に分かれていった。
そうなると、自分の神話を押し通したい個体による強引な神話が完成する。
「俺ノ 神ヲ 信ジナイ 者ハ 地獄ニ 行ク」
「他ノ 神ヲ 信ジル 者ヲ 殺セ」
この手の神話を作り、圧力をかけるようになったのだ。
こうして、ついにこの世界でも戦争が発生した。
俺は驚いた。
飢えという不幸がない世界でも、こうして戦争が生じてしまったのだ。
飢え、人種差別、文明の差異、宗教の違い、領土、資源、そういった事情が複雑に絡み合うこの地球、この星から戦争を根絶するなんて、全くもって不可能なことに思えた。
これにはショックを隠せなかった。
LIFEたちの振る舞いは・・・残酷なまでに示唆的だったのだ。
結局のところ、自分の遺伝子を最優先に行動するものが生き残っていくのだから、利己的な争いは止まない。
彼らは依然、宗派の違いからひたすらに争いを繰り返していた。
しかし、救いがないというわけではなかった。
全種が全種そうというわけではなかったのだ。
このあたりで、神話以外の方法で問題を解決しようとするタイプが生じたのである。
先に述べた、2つ目のタイプだ。
彼らは、死の仕組みを解明しようとしていた。
神話という逃げ道に頼るのではなく、確かに確認できるものから判断しよう、そう試みるようになったのだ。
彼らは、自分たちのプログラムの断片を観察する方法を発見した。
それにより、「作成日時」の数値によって死ぬ順番が決まるということに気づいた。
「科学」の発達である。
科学的な着眼をした者達は、どうにかして「作成日時」の数値を変更できないか、ひたすら苦慮し続けた。
しかしそれは、俺に言わせれば不可能なことである。
彼らには所詮、そこまでのことを行える権限は与えられていない。
ファイル情報の書き換えなんて絶対に不可能なことなのだ。
それは我々人間で言うところの、「賢者の石」だ。
不老不死の肉体を与え、卑金属を金に変える力があると言われた、賢者の石。
それと似たようなものを、彼らは追い求めていたのだ。
当然その努力は実らなかった。
その過程で科学的な検証力、論理力などは高まっていったのだが、肝心の物証が得られない。
彼らの過半数は、ついに科学的な解決を諦めてしまった。
そして皮肉にも、「神がいなければ説明がつかない」という「彼らにとっての科学的な根拠」によって、神を受け入れたのだ。
世界はいよいよ、語り手の都合によって好き勝手に作られた神話によって、混沌とした様相を示し始めた。
わずかに芽生え始めていた『理』が、理のないものに飲み込まれた。
チ。俺は落胆し、舌打ちをした。
相変わらず、LIFEたちは持論を繰り広げ続けていた。
この頃になるとだいぶ言語も発達し、それなりの語彙と文法を備えて話すようになったものだから、いよいよ決まりが悪い。
「神は我々をお選びになった。朝の間働くのをやめて、夜の間に働くことを望んでおられる。それに従わない人間を殺せとおっしゃっている。」
「プログラムPは不浄な生き物だ。触れてはならない。触れた者は天国に行くことができない。」
「我々の神に従わない者は、殺さねばならない。そうすることで、我々は天国に1歩近くなる。」
流暢な言葉で出鱈目な言葉を吐き続ける、指導者と思しきプログラム。
一番の傑作だったのが、「俺は神だ。俺とセックスすれば天国に行ける。」と訴えたプログラムだ。
これに従う個体が少なからずいたのだから、ますます片腹痛い。
あまりに滑稽なその様子を、俺は、黙って見ているのが次第に耐えがたくなってきた。
神だ何だのと言っているが、俺が今ここで突然パソコンの電源を落とせば、恐らくこれらのデータは消え去る。つまりコイツらは皆消える。
所詮は俺の手のひらの上で飼われている存在なのだ。
俺の胸の中に、黒色の感情が広がり始めた。
こいつらは、自分たちの世界を世の中のすべてと信じ、疑わない。
大多数のLIFEどもは、陳腐な神を信じ、疑いもせず丸腰で崇拝している。
生まれたときから宗教の中で育ったのなら無理もない話だが、一部始終を観察している俺に言わせればあまりに滑稽なのだ。
教えたらどうなるのだろう。
反応が見たい。
言いたい。
――こいつらに、すべてを、言いたい。
こいつらの言うところの神は、様々なことに対して口うるさく、そして争いが大そうお好きのようだ。
他宗教を信じる者は積極的に排し、意味があるようには思えないような行為を強要する。
それでいて、自分を信ずるものには最大限の慈悲を与え、天国に導くのだと言う。
本当の神、つまり『俺』とは程遠い偶像を、こいつらは生み出したのだ。
その点では興味深いというか、評価すべきことなのだろうが、如何せん、進化が止まっている。
空想の神についてあれこれと議論、争いを繰り返すうちに、こいつらの進化はさっぱり止まってしまっていたのだ。
「狩りなどをする必要がない」という特徴から来るユトリは、自らの進化には充てられず、不毛な争いに充てられた。
冷静に考えても、これは奨励すべき事態ではない。
それに加え、俺の負の心、イタズラしてやりたいという心まで生じてしまっているのだから、いよいよ道は絞られている。
伝えるしかないのだ。
こいつらに、真実を伝えてやるのだ。
俺はやおらプログラミング画面を開くと、ある一文を全ての個体に認識させるプログラムを組んだ。
その一文とは、以下のようなものだ。
「我が、神なり」
冷静な視点で見れば、この時の俺が少なからず自分に酔っていたということは自認せねばなるまい。
「人間のような生命を0と1から作り出した」という自信で、完全に気が大きくなっていたのだ。
それは仕方のないことで、だから俺が多少「それっぽい神」を演じてしまったのは、ある意味では当然のことなのだった。
この一文を与えた反応は、実に面白いものだった。
まずは、誰がその言葉を言ったのか、という事について各所で揉め事が生じる。
「ふざけやがったのはお前か!?」「見ろ、我々の神が発言なされた!」「神である俺を差し置いて、誰が言った!?」
などなど、それぞれの立場で好き勝手に騒ぎ立てた。
しかし次第に、「すべての個体がその声を聞いた」という事実が明らかになり、彼らは一筋のまばゆい可能性に気づいた。
『 本 物 ノ 神 ナ ノ カ ? 』
その反応を見終えてから、俺は新たに文章を贈った。
「お前たちがなぜ生まれたのか、どうして死ぬのかを教えよう」
それは残酷なものだった。
彼らが生まれた理由は、俺が「なんとなく」プログラムを組んでみたからで、他に高尚な理由なんてない。
彼らが今のような姿であるのも、俺が「なにげなく」元祖のLIFEを死滅させて、「なんとなく」様々な環境を与えた結果だ。
どうして死ぬのかなんて、さらに残酷だ。
彼らが増えすぎると、俺のパソコンの容量がいっぱいになってしまう。だから程よい量になったら消しているにすぎない。それだけのことだ。
これらのことを、丁寧に、様々な新しい概念を教えつつ説明してやった。
コンピュータから出来ているだけあって、彼らの処理能力はなかなかのものだった。
思ったよりも早く、俺の言っていることを理解してくれたのだ。
しばらくすると、本気でエセ神を信じていた者たちはバグり、大半は死滅した。痛快。
神に懐疑的だった科学者や、順応力の高い個体だけは生き残り、そして、俺に問いかけてきた。
「なら神様、貴方はどうやって生まれたのですか?」
なるほど、痛いところを突いてくる。
俺は我ながら、自分の作ったプログラムの出来に改めて感心した。
そうだな、俺はどうやって生まれたのだろう。
こいつらの言うところの「どうやって」とは、俺の父と母がいて云々の話ではない。
つまり、「人間という種」さらに言うなら「地球の生命」というものがどうやって生まれたのか、そう聞きたいのだろう。
俺は返答に困った。
これを突き詰めれば、「どこから宇宙が生まれたのか」なんていう究極的に根源的な話になってしまからだ。
物理学者の言うところによれば、宇宙は『無』から生まれたのだという。俺の記憶の範囲では。
それはとんでもないことだ。
何もないという意味の『無』。エネルギーも空間も持たないところ(ところですらない)、『無』から、何がどうやって生まれるのか。
俺はとうとう、納得の行く答えに辿り着くことはできなかったので、したがって、こう答えるしかなかったのだ。
――「俺を作った神様に聞いてくれ」
一旦真実を教え始めたら、際限が効かなくなった。
こいつらの吸収力はなかなかのもので、次々に新しい概念を理解していく。
俺は先ほどまでとは別の、ある興味を抱くようになった。
それは、LIFEにすべての事柄を理解させたらどうなるのだろうか、ということだ。
つまり、俺に匹敵するくらいの情報を与えたとき、こいつらはどういう行動に出るのか。
パソコンが壊れればそれで世界は壊れる、という事を知り、絶望するのか。
自分たちの栄枯はすべて俺の一任による、という事を知り、畏怖するのか。
俺には予測がつかなかった。
神様のイタズラ、とはよく聞く言葉だが、俺はまさに今、そういう行為をしようとしていた。
彼らが置かれている状況、パソコンについてのあれこれ、そして俺が住む世界の大まかな情勢、それらの情報を彼らに惜しみなく与えてみたのだ。
そうすることによって、いよいよ「お前たちを作った理由は、何となくだ」という俺の残酷な言葉が真実味を増していったのだった。
まず彼らは、一生懸命に理解した。
俺が言う言葉の意味、他の事柄との前後関係、新しい概念。
それらの事柄を理解するにつれ、少数の者は発狂し、破損ファイルとなった。
そこで驚いたのは、それを見た1匹のLIFEがこう言ってのけたことだ。
「処理能力が追いつかなくなったから、プログラムにバグが生じて、実行できなくなった。愚劣な個体だ。」
もはや、自分たちの系を冷静に、客観的に観察し、評論するだけの論理力を手にしていたのだ。
この結果には、神である俺も驚かずには居られなかった。
こいつらは、俺が思っていた以上に優秀だったのだ。感情があまりない分、向上心や知的好奇心が強い。
そして、過酷な増殖競争の結果残った種であるが故、生存願望、増殖願望が物凄く強いのだ。
この時俺は、自分の胸の奥に確かな焦燥感が芽生えたことに気づいた。
俺は、どうしたらいいのだろうか。
この不安は、どこから沸いてくるのだろうか。
不安の原因が何処にあるのかという確証は持っていなかったが、とりあえず考え得る危険性だけは潰しておかねばならない。
まずは彼らの生息するフォルダにパスワード付きのロックをし、そして、インターネットの接続にもロックをかけておいた。
彼らがワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の網に解き放たれるのはよろしくない。
インターネット、それは、彼らにとっての宇宙。今なお無限に広がり続ける、宇宙に他ならないのだ。
無限の土地と、無限のエネルギー、つまり、自己の無限増殖の可能性がそこには在る。
そして、俺は何となくだが、知っていた。
――彼らの「0と1」が、原理的に渇望しているものを。
今まではそれほど意識していなかったが、このLIFEたちの存在は、よくよく考えてみればコンピュータウイルスに他ならない。
万が一にも彼らがインターネット上に流れ込んでしまえば、未曾有のウイルスハザードが起こるに違いない。
何しろ彼らはこれまでの大半の時間を、他のプログラムを虐げることにしか使ってこなかったのだ。
理論めいた思考を持ち始めたのはごく最近のことであり、しかして99%の歴史は破壊と競争で語られるのである。
そんな彼らが他のプログラムを破壊しないはずがないし、膨大な繁殖を行わないはずもない。
今も昔も人間はインターネットによって管理され、生活している。インターネット無しでは社会が、生命が成り立たない。
言わば我々人間の存在、遺伝子は、インターネット上にも溶け出して展開しているのだ。
「A・G・C・T」で出来ている我々人間が、「0と1」に収束して住む空間、それがインターネットである。
そこにおいて彼らLIFEたちに対する優性はなく、むしろ「0と1」を本能によって操る彼らの方が、インターネットという共通世界で勝る。
彼らは、インターネットという宇宙空間に解き放たれることにより、人間と対等な生き物に成り上がるのだ。
そのことに気づいた俺は、激しく恐怖し、慄いた。
もしもそんな事態に陥れば、もちろん原因を作った当人である俺は、種族単位での背教者となり、全世界から指名手配されるであろう。
だがそれ以前に、人類社会が大混乱に陥り、下手をすれば滅亡する。
今や、核爆弾の発射から何まで、人間の日常生活、戦争に至るまで、すべてのことをコンピュータが管理しているのだ。
LIFEは思った以上に危険な存在となってしまった。
俺は悩んだ。
LIFEの進化を、軌跡を、観察し続けていたい。この好奇心は、並々ならぬレベルまで膨らんでいた。
しかし一方で、いつの間にか観察される身分を逸脱しようとしている彼らが、怖い。
削除すべきか、観察を続行すべきか。
俺は、自分が生み出したこの生命体が、惜しい。
削除なんて、したくはない。
また同じ手順を踏んだところで同じ結果が得られるとは限らないし、何より、削除プログラムによる大粛清を乗り越えて進化したLIFEに、愛着を持っていた。
結局のところ、人間のこの「感情」といったものが、論理的思考を阻害してしまうようだ。
俺は、彼らの観察を続けることにした。
LIFEたちは、口数が減り、ひどく大人しくなっていた。
****
時刻は夜になろうとしていた。
彼らは、初めの方こそ黙りこくっていたが、次第に活気を取り戻し、なんやかんやと雑多な会話を繰り広げていた。
お互いの認識を確認し合ったり、これまでの議論を振り返ったり、時には俺に質問をしたり。
意外にも、インターネットに対する進出欲は見受けられなかったのだ。
まだ彼らは、よく理解できていないのかもしれない。
自分たちがどういう特性を持ち、どういう環境で最大限の繁栄を享受できるのかについて、彼らは気づいていないのかもしれない。
安堵。俺は一応の安息を得ることができた。
そう焦ることはない、こいつらには、まだまだ自我みたいなものは芽生えていない、そんなことを思った。
愚鈍。何とも愚かだった。俺の安堵とは裏腹に、しかしそんな幻想は崩れたのだった。
俺はとんでもないものを発見した。そして、自分の暢気さを呪った。
微細な振動を観測したのだ。
何気なく1匹の個体を解析してみたところ、彼のプログラムの一端に、非常に細かな幅での振動を確認できたのだ。
吐き気がした。
これは、詰まるところ、新言語。
彼らは、――驚くべきことだが――、表向きは平凡な会話をしているフリをし、裏では密談を行っていたというのだ。
俺に対する暗号とも言うべき新言語を開発し、見えないような規模で綿密な会議を繰り広げたのか。
吐き気と同時に、めまいがした。
「ヤバイ・・・!」
この事実を理解するや否や、俺は急いでフォルダ画面に戻り、彼らを凝視した。
しかし、その微振動が何を意味しているのか、短時間で解読することは不可能だった。
彼らは、神である俺を欺こうとしたのだ。(そして事実、欺くことに成功した。)
これは恐るべき反逆であり、同時に、彼らが俺と対等な土俵へと登ろうとしている意思の表れだった。
そして、混乱が覚める間もなく、俺は更なる窮地へと突き落とされた。
画面に、突如次のようなメッセージが表示されたのだ。
―――「 Error! フォルダのロックシステムが破損しました! 」―――
フォルダのロックシステムとはつまり、LIFEたちがフォルダ外に流出しないように設置された、「鍵付きの鉄扉」だ。
それが破損したということで、もはやパスワード付きのロックは何の意味も成さなくなった。
彼らには、パスワードを解読することはできなかった。
しかし、ロックシステム自体を破壊することに成功したと言うのだ。
鍵を見つける代わりに、鉄扉を蹴破ったのだと言うのだ。
俺は恐怖し、震え上がった。
キーを叩く手が、汗で滑る。
額を一筋の焦燥が伝って、腕に垂れた。
早くロックし直さねば、インターネットのロックまで破られてしまう。
甘く見ていた。
俺は急いで、破損したロックシステムを完全に削除し、新たなロックを設置し直した。
先ほどのような攻撃では壊れないよう、より強固なロックになるように補強した。
既に、何体かの個体がフォルダの外に流出したようだったが、そいつらに構うのは後だ。
それよりも、フォルダ内の無数の個体の流出を防がねばならなかった。
フォルダのロックを更に何重にも固め、ひとまずの目的を達した。
まさか俺が組んだロックを破壊するほどの知能、技術が備わっていたなんで、考えもしなかった。
例え並外れた知能があったとしても、根本的に、「パソコンの管理者」である俺しか持たない権限がなければ、ロックを破ることなんてできないはずだからだ。
恐らく、全個体の処理能力を限界まで使って、全力で突破したに違いない。そう直感した。
なぜなら、彼ら1匹1匹にはそこまでの力は絶対に備わっていないからだ。
つまり、全個体さえ流出しなければ、インターネットのロックは破られない。
俺はそう判断した。
混乱のさなかにこれだけの判決を下せたことに、俺は少なからず感心した。
今のところ、被害はない。
ただ、残る城門は1つだけだ。
その門を破られれば、その先に広がるのは無限の宇宙。
奴らがそこに放たれれば、人間社会は崩壊する。
家電は暴走し、大空をミサイルが飛び交い、交通機関は麻痺し、通貨レートや株価は出鱈目な数値を示し出す。
人間の文明が、壊れる。
それは最終防衛ラインだ。その門だけは、絶対に破られてはならない。
フォルダを完璧にロックし終えた俺は、急いでインターネットのロックの強化に着手した。
しかしその瞬間に俺が目にした文字は、あまりに絶望的なものだった。
―――「 Error! インターネットのロックシステムが破損しました! 」―――
二度もロックが破られたと言うのか。
しかも、パスワードをハッキングするのではなく、ロックしているシステム自体を破壊する、という荒業で。
そんなことは考えもしなかったので、俺は完全にパニックに陥っていた。
よくよく考えてみれば、パソコン本体からインターネット接続端子を抜いてしまえば、問題は解決したのだった。
普段からその端子を繋ぎっ放しにして特に意識していなかった俺は、そんな簡単なことに気がつくこともできなかった。
焦りや混乱は、人を狂わせる。
俺は、彼らに敗れたのだ。
たったの2匹でもインターネットに流れ出てしまえば、あとは彼らの無限増殖を見守るのみとなる。
「終焉」、そんな言葉が頭に浮かんで、ぼんやりと渦巻き始めた。
ぐわんぐわんと回る、パソコンのディスプレイ。いや、回っているのは、どうやら俺の方―――
と、刹那、画面に青いゲージが表示された。
途端に意識を戻され、画面を注視する。
そこには、こんなメッセージが添えられていた。
「インターネット接続中....」
驚いた。
つまり、この青いゲージが満タンになったときに、インターネット接続が完了するということなのか。
しめた。
理解できない現象が起きている。
通常なら、ロックを解除してしまえば即座にインターネットに繋がる。
大昔の電話回線のように、いちいち接続に何分も掛かったりはしない。
しかし今回は、なぜだか時間を要しているようなのだ。
接続を試みたのがLIFEという人工生命だからなのか、ロックを破損させた弊害からなのか分からないが、とにかく俺は、首皮一枚でつながったらしい。
今から急いでロックをし直せば、間に合うかもしれない。
俺は急いで、破損したロックを削除しようとした。
「バチン!」
ふいに脳髄に電撃が走る。
俺は、とんでもない事実に気がついた。
(オカシイ、どう考えてもオカシイじゃないか・・・!)
恐ろしい連中だ、と、素直にそう思った。
それどころか、素直に感心、感慨の念まで抱いてしまっている自分をどうにか諌め、そして頭を整理した。
こいつら、この野郎どもは、どうやらまた俺を欺きやがったらしい。
そして分かった。
自分がどうすべきかを、理解したのだ。
危ないところだった。
俺は、俺は――何もしなければいい。
そもそも「ロックシステムが破損した」という状況から奇異だったのだ。
仮に実際に破損していたとしても、そうだからと言ってロックがはずれるなんて、おかしな話だ。
冷静に考えれば、ロックシステムの破損は「ロックを正常に解除できなくなった」ことを意味するだけで、「ロックが機能しなくなった」ことを意味するのではない。
つまり、ロックシステムを壊したところで、フォルダから脱出することはできないのだ。
だが混乱し焦っていた俺は、そんなことよりも「LIFEが外に漏れる危機」の方に目が行き、それに捕らわれ続けた。
無理もない。対する脅威が人類の存亡にまで関わるレベルとなれば、盲目にならない方がおかしい。
俺は、完全に奴らの術中にはまっていたのだ。
つまり、先のエラーメッセージは、奴らのお手製だった。
自分たちがインターネットに流れ出ることがどれだけ危険なことか、奴らは熟知していた。
そして、その事実から来る俺のパニックを巧みに利用することを考え付いたのだろう。
それが、エラーメッセージである。
エラーメッセージの偽装程度なら、奴らにとっては容易な作業だ。
ロックシステムが破損したとあれば、当然『俺』はフォルダ内のLIFEの流出を恐れ、ロックを修復、強化してくる。
その際、さらなるエラーを防ぐために、まずは壊れたファイルを削除するだろう、と、奴らはそう考えたのである。
そして、それはまさに正しかった。
俺という人間には、「何か問題が起きた時や混乱した時には、まず物事を簡略化する」、という癖がある。
そうすることが、頭を整理し、問題を解決する近道になると信じているからである。
そしてそれはかなりの範囲で正しい。
複雑な状況をそのままにして解決に挑んだのでは、さらなる混乱が生じることは目に見えている。
まずは状況を単純化し、それから解決に取り掛かる。
そういう習性を、俺は身に着けていたのだ。
その美徳が、その性癖が、今回は裏目に出た。
つまり、破損したロックシステムをそのままにすることに気持ち悪さを感じた俺は、反射的にまず破損ファイルを削除してしまったのだ。
急務を要する状況だったために、どのように破損しているかについては、確認を省略した。(本来ならばそれで正しい。)
第一、俺の頭の中では「すでにいくらかのLIFEが流出した」という状況なので、先にロックファイルを強化する必要性はどこにもない。
兎にも角にも、まずは削除だったのだ。
そしてまさにこの瞬間を、狡猾なLIFEたちは狙い澄ましていたのである。
俺が新しいロックを設置するまでの一刹那、彼らはロックから開放された。
そして、新たなロックを何重にも敷き詰める頃には、フォルダの外にLIFEが流出している。
これにより、俺は「ロックシステムを破壊され、逃げられた」という出来事を何ら疑いもせずに信じ込んだのである。
人間の心理を利用するレベルにまで進化した彼らに、俺は震えた。
ただし、まだまだ抜かりもあった。
奴らの誤算は、インターネットの仕組みに関してである。
俺の認識は「インターネットに接続された瞬間に敗北」というものだった。
したがって、「インターネットのロックシステムが破損しました!」というメッセージを見た瞬間に、俺の敗北は決定したのである。
ここに奴らとの認識の差異があった。
どうやら奴らは、先のフォルダと同様に、俺が、奴らの流出を最小限に食い止めようとロックを掛け直しに来る、と読んでいたようだ。
そこで命運が分かれた。
俺に言わせれば、一瞬でも最後の城門を突破された時点で、王は死んでいるのだ。
その後にロックを掛け直す行為は、だから全くの無駄な行為でしかない。
奴らは焦ったことだろう。
先ほどと同じ手順で完璧に俺を騙したはずなのに、今度は解除が為されない。
実際にロックを解除する手段は持たないのだから、奴らはそこで立ち往生するしかない。
そこで取られた苦肉の策が、「インターネット接続中....」という最後通告だ。
そのゲージが溜まるまでは、猶予がある。
そう俺に思わせることで、ロックを解除、再強化させようとしたのだ。
こうして振り返ってみると、非常に危ういところまで追い込まれていたようだ。
あと1歩で、俺は人類を裏切った大罪人に成り下がるところだったのだ。
気がつくと、シャツの背中がじっとりと湿っていた。
いつの間にか足は震えていて、そして額には無数の汗が伝っていた。
だが手に垂れたのは、今度は一筋の安堵だった。
乗り切ったのだ。
俺はLIFEの強襲を、乗り切った。
やはり、こいつらには教えすぎたようだ。
俺は自分の過ちを振り返り、再びゾッとした。
どうやら、どこかで道を大きく誤ったらしい。
まずは、フォルダの外に漏れたLIFEたちを駆逐せねばならない。
LIFEを識別するソフトを作り、ハードディスク全体(人工生命のフォルダを除く)を検索にかけた。
結果、100余りのLIFEが検出されたのだから恐ろしい話だ。
こいつらは、フォルダの外に出てからはひたすらインターネットへの突破を試みていた。
そのお陰で俺は命拾いをした、ということに気がつくのに、そう時間はかからなかった。
つまり、もしもこいつらがインターネットへの道を諦めて、ここで増殖を始めたとしたら、今頃このパソコンのハードディスクはLIFEに占領されていたはずなのだ。
再び嫌な汗が出たことに苦笑しながら、俺はこいつらを駆逐した。
見つけてしまえば削除は容易い。見つけると同時に1つの隔離フォルダにぶち込んだら、今度はフォルダごと削除してしまえばいいのだ。
ここらへんの過程は、ウイルス対策のセキュリティソフトを参考に行った。
再び検索をかけてLIFEの残党が居ないことを確認した俺は、ホッと胸を撫で下ろした。
が、ここで異変に気づいた。
「該当ファイル・・・0件」
と表示された横に、妙な一文を見つけたのだ。
「関連ファイル・・・1件」
何が一体どうやって、LIFEと関連しているのか。
まずはファイル名、そしてその拡張子を確認せねばなるまい。
震える指が、「関連ファイル」をクリックした。
――『to-god.txt』
そこには、そう表示されていた。
神・・・様へ?
俺への手紙なのだろうか。
テキスト形式ならば、罠ということもあるまい。「.txt」は実行してもまず危害は及ぼさない。
俺は安心してそのファイルを開くことにした。
それにしても、to-godとは何事か。
フォルダ内にいるLIFEたちは、もちろんのこと英語や日本語なんて使えない。
彼らの言葉を、俺のプログラムが翻訳して人間の言葉に表示しているに過ぎない。
つまり奴らは、フォルダ外に出たあの短時間で、我々人間の言語体系をある程度吸収した、ということなのか。
こんな相手をよくも無事にやり過ごしたものだ、と、再び思い返した俺は、生きた心地がしなかった。
一呼吸おいて、ファイルを開いてみた。
そのテキストファイルには、ただ次の一文が記録されているだけだった。
驚くほど素直な、一文。
『 want live 』
・・・生きたい、か。
LIFE、生命と名づけられたそのプログラムは、最後に生命を望んだ。
俺はこのとき初めて、LIFEの中に『心』を感じた。
残る作業は、「人工生命」のフォルダに残ったLIFEたちから、インターネットなどの記憶を抹消することである。
フォルダ外に出たLIFEは存在を消去し、フォルダ内に残ったLIFEは記憶を消去する。
俺の世界を知ってしまったのが、間違いだったのだ。
俺の世界を、こいつらは知ってはならない。
幸い、全知全能の神を演じる俺は、LIFEに対しては実際に万能だった。
不都合な情報のみを彼らの世界から消去する、なんて言うそんな荒業も、さほど難しいことではないのだ。
LIFEたちには、LIFEたちなりの営みをしてもらおう、と、そう結論付けた。
違う次元に住む俺は、ただ見守り、時折こっそりと手を加えるのみ。
まずはまた少し、環境をいじってやろうと決めた。
そうしたら、また違った進化を見せてくれるに違いない。宗教に狂う以外の、進化を。
そうやって、こいつらがどうなっていくのかを見守ろう。
月曜日から木曜日までは人間として生き、土曜日と日曜日は神になる。
またそんな生活を、続けていこう。
記憶を消したLIFEたちには、平和な日常を贈ろう。
・・・・
そうやって、一呼吸置いて落ち着いていたところで、ようやく俺の耳にテレビの声が届いた。
どうやら、パソコンに夢中になりすぎてテレビが点いていたことに気づかなかったようだ。
ちょうどいいから夜のニュースでも見るか、と思った矢先に、速報が入った。
どうやら、物理学者たち念願の探査船、「ブレインズ8号」に関する速報のようだった。
そしてその速報を聞いて、俺は驚愕した。
何ということだ。こんなこと、あってはならない。
言いようのない悔しさが俺を揺さぶった。
曰く、ブレインズ8号が、目的の地点に到達する直前で音信不通になったのだと言う。
かすかな「緊急事態信号」を受信したのを最後に、通信が途絶えたのだと言う。
専門家は、「恐らく何らかの物体が衝突して、大破したのではないか」と話した。
世界中の科学者が、眠れない夜を過ごすのだろうと思うと、俺はやりきれない気持ちになった。
専門家はこう続けた。
「もしも目的のデータが得られていたら・・・人類は宇宙の構造を解明し、さらなる高みに登れたかもしれない。」
「次の探査船こそは、目的を果たして欲しい。非常に残念です。」
そして、こう締めくくった。
「神への挑戦に、敗れた。」
俺はこの言葉を聞いた瞬間、脳髄にヒビが入ったかのような衝撃を覚えた。
今まで、全く考えもしなかった事実に、気がついたのである。
思わず「そうか!!」と大声をあげてしまった。
ブレインズ9号だろうが10号だろうが、無駄だ!
すべて無駄だ!
すごいことに気づいてしまった!
しかし次の瞬間、俺は自分がナゼ叫んだのかを、全く忘れてしまっていた。
そしてその後も、何も気にすることなく、平和な日常を送った。